分類マニア

naom2005-03-28

無事に「猫の野菜」を育てあげました。うちの猫達もわしゃわしゃ食べてくれて、そしてたまにゲポーって吐いていい感じです。


畜産農家の人が、愛情たっぷり育てあげた牛を
食肉にするのはどんな気持ちなのだろうと不思議でしたが、
私が今感じている、この達成感みたいなものでしょうか。


「うちの牛はおいしいよぉ」と言ってのけるあのおじさんにとって、
牛とはどんな存在なのでしょう?


それは、私が牛を「ペット」か、「食肉」かのどちらかでしか見ていない結果の混乱で、
畜産農家の人たちには、そんな境い目がそもそもなく、イコールで結ばれていて、
なんの不思議もないことなのでしょうか。


現代っ子の私は、牛や鳥がさばかれるところなど見たこともなく、
鳥の羽を毟る(「むしる」って漢字めっちゃ分かりやすい。漢字万歳!)
映像などを見ると、これは至極当たり前のことで、私達の見ていない暗部
の存在も自覚しなくっちゃ(暗部っていうのがもうおかしい。)と思いつつ、
ちょっと引いてしまう。


私はとてもキレイなところで生活してるなぁと思う。
無理に昔ながらの生活をする必要はないと思うが、感覚が麻痺してるだろうと思う。


現代の生活の知恵は持っているだろうが、もっと根源的な、生きていく知恵が
私には欠けている。大丈夫か?私。


いろいろな物が、細分化され、分類され、説明されたところで
分かったつもりになっている。
Stop the 思い込み。Stop the 石頭。求む!柔軟な思考。


大口を開けて草を食べている猫の、思いの他野生っぽい顔を
見ていてそう思った。